コラム:加藤廣志さんに想いを馳せて-バスケットボール監督-

先日他界された能代工業高校バスケットチームの監督の加藤廣志さんは全国大会で秋田の県立高校を33回優勝させた名将です。たまたま、元の仕事がバスケットボール専門誌を作ることであったので、縁あって素晴らしい指導者について新聞社よりコメントを求められたものをアップさせていただきました。総合型スポーツクラブのHPにはふさわしいとは言えないとは思いますが、スポーツのトップの場の方に教えていただいたことをクラブの運営に生かすことも必要ということでアップさせていただきました。(狛〇くらぶ会長島本和彦)

世界と戦うヒントあり東京五輪出場 崖っぷちの男子代表

 加藤さんは選手への愛情が深い教育者でもある。練習を終えた帰宅後、「あの選手は明日、どんなプレイを見せてくれるだろう」と考えると夜明けが町遠しくなり、朝まで眠れなくなった。
 家庭の事情で学校をやめようとしていた選手の親に「自分の子どものようにして育てるから、何とか私に預けてください」と頼み、自宅に下宿させたこともある。選手をよく観察し、様子がおかしいときはすぐに気が付き声をかけた。
 33回の全国優勝を重ね、加藤さんが90年に引退するまでの間、バスケは能代市民が最も愛するスポーツに成長した。
 “バスケの街・能代”ディーゼル車両が行き交うJR五能線能代駅のホームに降り立つと、長方形の板にそう書かれたバスケのリングが出迎える。公園や民家の庭先など、街のあちこちにリングがあってバスケを楽しめる。5月の連休に毎年、全国の強豪校を招待する大会“能代カップ”が開かれる。「一番応援してくれる市民に全国レベルの大会を見せたい」と始まり、今年で31回目になる。市もバスケの街づくりを進めている。役所にはバスケ担当の専属職員を配置するほど力を入れている。
 加藤さんのバスケは後進に引き継がれ、能代工は黄金時代を築く。
 インターハイ、国体、選抜の年間3つの全国大会を制覇する〝三冠王“を獲得したチームの主将で、後任監督となった加藤三彦さん(55)=現西武文理大教授=は、伝統の走りに加え、外角からのシュートを多用するなど戦術を進化させ、優勝回数をさらに伸ばした。

田臥選手在籍時 3年連続3冠

 中でも圧倒的に速く、強かったのは96~98年。日本人初のNBA選手で現在も国内のプロリーグで活躍する田臥勇太選手(37)がいた時代だ。3年連続で三冠を達成した。田臥選手の1年先輩で、後にラグビー選手として活躍した小嶋信哉さん(38)は「究極の速さを求めた。1歩も無駄足を踏まず、最短コースを走り、パスだけで攻め込む練習を繰り返した」。 
 能代工のスタイルは、世界と戦う時にも結果を出している。日本の女子代表は2016年のリオデジャネイロ五輪で、当時世界ランク4位のフランスなど身長が大きな格上の相手を破り、ベスト8に進出した。

「めざせ能代工スタイル」

 「大きな選手とがっぷり四つに組んだら勝ち目はない。走る量と攻守の切り替えの速さを意識した。相手の守備の戻りより、どれだけ早くハーフラインを越え数的優位を作れるかがポイントだった」
 ヘッドコーチだった内海知秀さん(59)=現札幌大教授=はこう振り返る。内海さんは能代工OB。まさに加藤廣志さんから学んだ戦術が根底にあった。
 一方、男子代表と世界の差は大きい。現在戦っているワールドカップ予選では4戦全敗。五輪も開催国なのに「出場権を自力で獲得するのはかなり厳しい状況」(日本バスケットボール協会)だ。
 NBA解説者の中原雄さん(51)は「どんなバスケをしたいのかはっきりしない。速い攻めを基本に、外角からのシュートをばんばん放るスタイルが世界の主流。日本もそこを目指すべきだ」。それは、まさに能代工のスタイルでもある。
バスケ専門誌〝月刊バスケットボール“の元編集長、島本和彦さん(71)も「加藤先生が構築したシステムは、きつくて簡単にまねできると思わない。しかし、小さき者が戦う上での真理だ。そういう過去の事例をアレンジしながら男子もやっていくしかないだろう」と助言する。
(東京新聞・石井紀代美)

〇デスクメモ
 記事を書いた石井記者は黄金期の能代工バスケ部のOBでもある。性別は男性だ背はさほど高くない。当時はより背の高い相手にどう勝のか、心血を注いだのだろう。その努力と工夫は今の仕事でも生かされているはずだ。個人情報だが、読者に必要だろうと思い、明かした。(裕)2018・3・18

高さに挑み 優勝33回

 1960年から90年までの監督在任中、全国大会の優勝回数は実に33回。その後も全国制覇を計58回まで伸ばした高校男子バスケ界屈指の強豪校の礎を築いた。
 秋田県藤里町生まれ。能代工高や日体大でバスケに打ち込んだ後、教諭として母校に着任。県大会すら勝ち抜くのもままならなかった無名のバスケ部の監督に就いた。
 当時の能代工の選手の平均身長は約170cmと小柄。180㎝を超える選手をそろえた強豪に歯が立たなかった。このため、身長差がものを言うゴール下での勝負を捨てた。前線から相手にプレッシャーをかける守備、こぼれ球を拾って速攻につなげる切り替えの速さ、それを磨き、それを支えるスタミナを付けるため、単純な反復練習を選手は繰り返した。
 「先生のバスケは『高さへの挑戦』。出来ないといつまでも練習は終わらないし、元日以外、毎日練習できつかった」。63年に全国高校総体に出場した時のメンバーで、OB会長の山本健蔵さん(71)は振り返る。監督就任8年目の67年、埼玉国体で初の全国優勝を遂げた。
監督時代の教え子約330人全員の顔と名前、どの試合でどんな活躍をしたのか、すべて記憶していた。「選手をよくみて、真剣に向き合ってくれる。兄であり父のようでもあった」と山本さん。自身に子供はいなかったが、部のOBが夏休みに後輩の指導に来ると自宅に泊め、一緒に食事をするのを好んだ。妻のテイさん(80)は「夫は24時間バスケのことばかり、たくさんの子供たちがいるみたいでした」と懐かしむ。
全国大会の常連となった88年、「日頃、応援してくれる市民に強豪校のプレイをみせたい」と能代にトップレベルの高校を招く“能代カップ高校選抜バスケットボール大会”の開催に尽力した。大会は今年で31回目を迎え街のにぎわい作りに一役買う。
能代工は2007年を最後に全国優勝から遠ざかる。2年前にがんが見つかっても、練習に訪れた。昨年から指揮を執る杉沢政(ただし)監督(59)は「チームを気にかけていたんだと思うが、口出しはせず、笑顔で見守ってくれた」と感謝する。
雑誌“月刊バスケットボール”の元編集長、島本和彦さん(71)は言う。「選手の持ち味を引き出すのがうまく、個々の実力が相手チームより劣っていても試合は不思議と勝ってしまう。全国のバスケファンの記憶に残る強豪校を作り、全国のバスケ関係者や地域を動かした。それは加藤さんの情熱があってこそだ」
(秋田支局・藤本宏 読売新聞全国版2018・5・6)


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